【後編】「作」「鍋島」も惚れ込む「赤磐雄町米」。毎年倒れる"厄介な米"を守り抜く、生産者たちの不屈の魂
【前編】では、日本酒を造るための特別な米「酒米」の基本、そして奇跡の米『雄町』がいかにして「復活の地・高島」で蘇ったか、その物語をお届けしました。
今回の【後編】では、日本酒ジャーナリストの関友美が、もう一つの聖地「守護の地・赤磐(あかいわ)」を訪れます。そこには、いかなる苦境でも雄町の種を絶やさなかった者たちの不屈の魂、経済合理性を超えた「魂の仕事」の哲学、そして逆境を乗り越え、雄町の未来を担う一人の女性の力強い姿がありました。
雄町発祥の地・高島と酒米、雄町についての説明はこちらから
「赤磐雄町米」と、その中心地「赤坂」
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出典:赤磐市ホームページ
https://www.city.akaiwa.lg.jp/annai/sougouseisaku/machihitoshigotososei/shisei/gaiyou/syoukai/2120.html
本編に入る前に、少しだけ地理の話をさせてください。日本酒ファンには「赤磐雄町米(あかいわおまちまい)」というブランド名が知られていますが、その栽培の中心地となっているのが、赤磐市の中にある「赤坂(あかさか)地区」です。これから登場する生産者の皆さんは、この赤坂地区で雄町の魂を守り抜いてきた方々です。
土と人が守り抜いた「守護の地・赤磐」
高島地区から北東に隣接する赤磐地区へ向かうと、語られる物語の趣が変わります。高島が「発祥と復活」の物語ならば、赤磐は「不屈」の物語です。
赤坂特産雄町米研究会で会長を務める藤原一章さんは、取材中、何度も同じ言葉を繰り返しました。
「うちはやめてねえ。一回も。ずっと作り続けてきたんじゃ。高島は『発祥の地』かもしれんが、うちは米を育て上げてきた『育成の地』。ともに岡山県雄町米を後世に残すのが使命。それがプライドじゃけえ」
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9月初頭、身長155cmの筆者が埋もれるくらい雄町の背丈は高かった。
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その無骨な岡山弁の響きには、どんな時も雄町の種を絶やさなかった者たちだけが持つ、絶対的な重みがありました。『育成の地』としての誇りと、岡山県全体の未来を見据えるリーダーとしての使命感。その両方が、彼の言葉には満ち溢れていました。
そのこだわりは、土壌への深い理解に支えられています。
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(左)赤坂特産雄町米研究会、そして岡山県酒造好適米協議会、その双方で会長を務める藤原一章さん、赤坂特産雄町米研究会の副会長・堀内由希子さん
「赤磐の雄町がええ米になるんは、土が違うけえじゃ。ここの土は『砂壌土(さじょうど)』。水はけがええけえ余分な肥料は抜けて、その分、根が全体に広がって、よう張るんよ。だから生育にええんじゃ」
毎年倒れるけどね、と藤原会長は笑います。
雄町という米は、そもそもが背丈が伸びすぎる性質を持っています。その上で、なぜ赤磐の砂壌土が良いのか。
水はけが良い「砂壌土」では、余分な養分が雨と共に流れ去ります。すると稲は、より広く養分を求めて大地に根を張り巡らせる。藤原会長の言う「根が全体に広がり、張りが良くなる」状態です。
この力強く張った根こそが、伸びすぎるほどの稲の体を支え、豊かな実りをもたらす土台となるのです。この土壌との対話こそが、赤磐が「育成の地」たる所以なのです。
それは、先人から受け継いだ米の「魂」を、そのままの形で未来へ手渡そうとする、彼らなりの誠実さの表れなのです。
農家の魂は、蔵元の魂へ。造り手が語る赤磐雄町米の魅力
これほどまでに誇り高く、手間暇をかけて育てられた赤磐の雄町。その米を毎年心待ちにし、最高の酒へと昇華させる全国のトップクラスの蔵元たちは、この米にどのような価値を見出しているのでしょうか。農家の方々の魂を受け取る、酒造りのプロフェッショナルたちに、その想いを伺いました。
【蔵元コメント:作(清水清三郎商店)】
「日本酒におけるテロワール論が盛んですが、ワインの理論をそのまま移植することには違和感があります。醸造工程が複雑な日本酒は、技術革新の積み重ねによる『最先端産業』。工程の設計と発酵管理こそが酒質の比重を占めるからです。
では、なぜ赤磐雄町米なのか。雄町の真髄は派手な香りではなく、酒質設計を尽くした時に返ってくる『甘みの質や余韻の深さ』にあります。その『差』が出る米だからこそ、全国の蔵が熱狂し、技術の挑戦に応えてくれるかけがえのない存在なのです。
また、米づくりの現場へ足を運ぶのは、産地を語るためだけではありません。昨今の米不足が示す通り、農業が安定して継続されなければ、酒造りも立ち行かない。私たちは品質の議論と同じ熱量で、農家が報われる社会構造を考える必要があります。赤磐の雄町は、現代の高品質な日本酒を支える重要な土台であり、私たちはこれからも生産者の皆さんと共に歩み続けたいと考えています」
【蔵元コメント:鍋島(富久千代酒造)】
「赤磐雄町米が育つのは、機械も入りにくい山間の地。砂壌質の土壌は管理が難しく、激しい寒暖差は朝露で稲を倒してしまうことさえあります。しかし、その厳しさこそが、良質な雄町を育む上で不可欠な要素でもあります。毎年、田植えと稲刈りに参加させていただく度に、そのご苦労を肌で感じています。
『赤磐雄町米』の誇りを胸に、その厳しい環境で米づくりに懸ける生産者の皆さんの姿には、敬意しかありません。その敬意の証として、私たちは表ラベルに『赤磐雄町米』と名を記しています。それは、この素晴らしい米に応えるという我々の覚悟の表明でもあります。これからも、雄町らしいふくよかな旨味の中に、あの厳しい自然で育ったからこその、野性的で力強い魂を感じられるような酒を醸し続けてまいります」
野生との対話。経済合理性を超えた『魂の仕事』
雄町の「野生」は、強さと脆さという二面性に現れます。取材直前の豪雨で倒れた稲を見ても、藤原さんは動じません。
「雄町は野生的なとこがあって、太陽が当たるとまたグッと起き上がってくるんじゃ」
これこそ原生種たる所以の生命力です。しかしその反面、品種改良された米が持つような耐病性はなく、一筋縄ではいきません。
最高の酒質のため、彼らは経済合理性とは別の物差しで動きます。例えば、酒の雑味に繋がるタンパク質を抑えるため、収量が増える収穫間際の追肥をあえて行いません。また、夏の猛暑には、豊富な川の水を田んぼに掛け流しにして稲の温度を下げるなど、その知恵と技には驚かされます。
食用米に比べ収量が少なく、栽培に格段の手間がかかる雄町。なぜ、彼らは作り続けるのでしょうか。
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赤坂特産雄町米研究会の総会と研修会の様子。近年の猛暑という新たな敵に立ち向かうべく、藤原会長(演台)を中心に、栽培技術の共有と対策の確認に余念がない。私たちが手にする一杯の酒の裏側には、こうした地道な学びと努力が積み重ねられている。
取材の中で彼らが語ったのは、「自分たちが育てた米が、最高の酒になる喜び」であり、「先祖から受け継いできた土地と種を、次の世代に繋いでいくという使命感」でした。
これは単なる農業ではありません。彼らにとっては、まさしく「魂の仕事」なのです。
その魂は、米づくりの思想そのものに表れています。
【前編】で訪れた高島が、収穫後の「常温除湿乾燥」までを地区で統一し、品質の均一化を徹底する「仕上げの哲学」を持つとすれば、赤磐・赤坂の農家たちが何よりも重んじるのは、個々の「育成の哲学」です。
彼らのプライドの源泉は、あくまで自分たちの「土」と、長年の経験に裏打ちされた栽培の「技」。収穫後の米の仕上げは、個々の農家が、それぞれの哲学と責任のもとで丁寧に行い、最高の状態で蔵元へと送り出しています。
どちらが優れているという話ではありません。雄町という同じ米と向き合いながら、その土地の歴史と誇りが、これほどまでに異なるアプローチを生み出した。その事実こそが、雄町という酒米の奥深さを物語っているのです。
魂のバトンは、次世代へ。赤磐の未来を拓く新たな力
そして、その「魂の仕事」は、確かに次の世代へと受け継がれています。その象徴が、赤坂特産雄町米研究会で副会長を務める、堀内由希子さんです。
農業未経験でこの地に嫁いだ彼女を、義父の会社の破綻、そして離婚という逆境が襲います。二人の幼い息子を抱え、広大な農地だけが残されました。
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堀内さんが社長を務める穂々笑ファームファームの収穫された米の受け入れ、乾燥、貯蔵、そして出荷までを一括して行うライスセンター
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「前に進むしかない」。
その覚悟から、彼女は赤磐雄町米を世界へ」という未来を見据え、改革を断行します。その一つが、食の安全や環境保全、労働安全などを定めた国際基準『グローバルGAP』の取得でした。世界基準の信頼を得るこの困難な認証に挑んだ事実は、彼女の強い意志の証です。
こうした改革が実を結び、今では藤原会長が「彼女なくして、地域は立ちゆかない」と絶大な信頼を寄せる、産地の中核を担う存在となりました。
なぜ、これほどの困難を乗り越えてまで、彼女は雄町を作り続けるのか。その問いに、彼女は屈託なく笑います。
「毎年、同じ作業を繰り返すのにコメの出来って違うんです。天候に左右されるから当たり前だけど、私にはまだそれが不思議で面白くて、ちっとも飽きないんです」
雄町の「野生」と向き合うことは、先人たちのプライドの継承であり、彼女にとっては尽きることのない探究心を満たす挑戦なのです。
おわりに
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JA全農おかやまの西村将大さん。生産者にとっては頼れる若き専門家であり、その情熱は岡山の農業全体へと注がれる。実りの季節を迎えた雄町の田んぼに立ち、その生育を静かに見つめるその姿は、まさしく産地を支える「縁の下の力持ち」そのものだ。
雄町が160年以上も受け継がれてきた理由。それは、価値を信じる農家がいて、最高の酒を醸そうとする蔵元がいるからです。高島の「発祥」のプライドと、赤磐の「不屈」の魂。その両輪が、この奇跡の米の歴史を未来へと力強く押し進めています。
もし皆さんが酒屋さんで「雄町」の酒を見かけたら、ぜひそのラベルの向こう側にある、岡山の農家の方々の、無骨で、誇り高く、そして未来へと種を繋ぐ力強い姿を思い浮かべながら味わってみてください。
もっと雄町を知りたい人へ
2025年「第16回 雄町サミット」のより詳しいレポートや、近年のトレンドについては、こちらの記事もぜひご覧ください。
https://saketomo.tv-aichi.co.jp/news/20250825_omachisummit.html
岡山県・幻の酒米「雄町」を求めて おまち女子地酒探訪 http://bizen-omachi.pref.okayama.jp/
全農岡山県本部・岡山県の酒米「雄町」とは?
【取材協力】(敬称略)
- 藤原 一章(赤坂特産雄町米研究会 会長)
- 堀内 由希子(赤坂特産雄町米研究会 副会長 / 株式会社穂々笑ファーム 代表取締役)
- 西村 将大(全国農業協同組合連合会 岡山県本部 農産・園芸部 農産課)
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