【前編】なぜ名門蔵は「雄町」を選ぶのか?  一度は消えた"幻の酒米"復活の聖地・高島を訪ねて

  • 高島雄町米振興会と筆者の写真

日本酒のラベルで『雄町(おまち)』の文字を見かけたことはありませんか?
実はこのお米、品種改良がされていない「野生」の姿のまま160年以上も続く、奇跡の酒米なのです。なぜトップクラスの杜氏たちは、この“扱いにくい”とされる米に魅了され続けるのでしょうか?


その答えを求め、きき酒師で日本酒ジャーナリストの関友美が、雄町の二大聖地、岡山県の「高島」と「赤磐」へ飛びました。
今回の【前編】では、雄町がいかに特別な存在であるか、そして、一度は栽培が途絶えながらも生産者たちの熱い誇りによって蘇った「復活の地・高島」の物語をお届けします。

そもそも「酒米」って、なにが違うの?

  • 酒米

日本酒はもちろんお米から造られますが、私たちが普段食べているお米(食用米)とは異なる、お酒造りのために特別に栽培されるお米、それが酒米です。正式には「酒造好適米(しゅぞうこうてきまい)」と呼ばれます。

  • 心白の説明画像

食用米との大きな違いは、「心白(しんぱく)」と呼ばれる米の中心部。白く不透明なデンプンの塊で、この部分が大きいほど、麹菌の菌糸が根を張りやすく、醪(もろみ)によく溶けて、雑味の少ないクリアな味わいの酒になります。

そのため、良い酒米は、

  • 粒が大きく、
  • 中心の心白が大きく、
  • タンパク質や脂質が少ない

といった特徴を持っています。まさに、美味しい日本酒を造るために選ばれたエリートなのです。

奇跡の原生種、酒米『雄町』とは

現在主流の酒米の多くは、いわば品種改良によってデザインされた「サラブレッド」です。「山田錦」や「五百万石」をはじめ、そのほとんどが、より育てやすく理想的な心白を持つよう、人の手で戦略的に交配されてきました。

一方、雄町は違います。その起源は人の設計図にはなく、一つの物語から始まります。安政6年(1859年)、備前の篤農家・岸本甚造が旅先で出会った2本の稲穂。当初「二本草(にほんそう)」と名付けられ栽培されたこの稲こそ、人の手が加わらない純血のまま今日まで続く「原生種」、雄町の原点です。

  • 酒米の背丈

    食用米(右)と比べると一目瞭然な、約160cmという酒米「雄町」の背丈。この規格外の高さこそが栽培を難しくさせる最大の理由だ。しかし、この「野生」の魂を乗りこなした先に、他の米では出せない複雑で豊かな味わいが生まれる。

  • 石碑

    雄町発祥の高島の地に立つ、発見者・岸本甚造の功績を称える石碑。そこには、安政6年(1859年)に彼が発見した2本の稲穂から雄町の歴史が始まったこと、

  • 石碑

    そしてその米が「酒造用の米として最高である」と全国に名を馳せ、昭和天皇の即位儀式「大嘗祭」に献上される最高の栄誉にあずかったことが刻まれている。

  • 酒米

しかし、雄町の真価は、ただ古いというだけではありません。この「野生」の米こそ、酒米の王「山田錦」をはじめ、現存する酒米の実に6割以上がその遺伝子を受け継ぐ、偉大なる「ルーツ」なのです。背が高く倒れやすいという栽培上の困難さを抱えながらも、多くの子孫たちの手本となるほど、奇跡的に酒造りに向いた特性を持っていました。大きく柔らかい米粒と、球状の大きな心白。この特性が、他の米では出すことのでない、複雑で、奥深く、ふくよかな味わいの酒を生み出すのです。

発祥と復活の聖地・高島へ ~水と誇りが米を磨く~

  • 田んぼ

その奇跡の米、「雄町」の全国生産量の98%近くが岡山県産です。栽培は主に県南東部の「備前(びぜん)地区」に集中しており、その中でも赤磐(あかいわ)市、岡山市東区瀬戸町、岡山市中区高島などが、特に高品質な米を育む主要産地として知られています。

  • 岡山 雄町 主要栽培エリアマップ

この広大な備前地区の中で、雄町の歴史と個性を語る上で欠かすことのできない、二つの象徴的な土地、「高島」と「赤磐」があります。まずは、雄町が生まれた「発祥と復活の地・高島」から訪ねてみましょう。

  • 雄町の花

    雄町の花

「雄町」の名前は、この地区にある「雄町」という地名に由来し、環境省の「名水百選」に選ばれた「雄町の冷泉」が今も静かに湧き出ています。三大河川の一つ、旭川の伏流水であるこの清らかな水が、雄町を育んできました。

  • 雄町の冷泉

    田んぼからもすぐの住宅街のなかに位置する「雄町の冷泉」。

  • 雄町の冷泉

    現在は、近くの「おまちアクアガーデン」で誰でも取水することができる。

  • 雄町の冷泉

    環境省の「名水百選」にも選ばれた名水「雄町の冷泉」。その由来を記した看板には、かつて岡山藩主・池田家が水奉行を置いて厳重に管理したこと、そして明治18年(1885年)に明治天皇が巡幸の際に飲料水として用いたという、最高の栄誉が記されている。この清らかな水が、雄町米の命を育んでいる。

雄町発祥の地――といっても、歴史を紐解けば…昭和48年(1973年)、国の減反政策などの影響で作付面積は激減し、高島から雄町は一度姿を消しました。「幻の酒米」と化したのです。そこから、生産者、酒造会社、行政、JAが一丸となって復活の狼煙を上げました。

  • 高島ライスセンター

生産者のプライドが品質を支える

  • (右)高島雄町米振興会の会長・西崎瞬二さん、(左)副会長・水田良和さん

その中心人物である、高島雄町米振興会の西崎瞬二会長は、その誇りをこう語ります。

「天候不順で、出来が悪い年があった時、『とにかく頑張って一等米にしてくれぇ。高島が二等米を出すわけにはいかんのんじゃ』と生産者から言われてな。要するに少しでも劣るところは取り除いて、良い米だけ集めて出荷する。収入はガクッと減る。それでもやれ、と。高島のプライドじゃな」

  • 地図を指さしながら、歴史を説明してくれる西崎さん

そのプライドを品質に変えるため、彼らが確立したのが『オール高島』という、米づくりの全てを地区で統一する手法です。

  • 稲

驚くべきはその徹底ぶりです。復活当初の昭和55年(1980年)から「オール有機」と呼ばれる有機肥料にこだわり、現在では『高島雄町』という地区専用の肥料まで開発。さらに平成20年(2008年)からは、農薬や化学肥料の使用を削減した『特別栽培』にも地区全体で取り組んでいます。こうした品質への一貫した姿勢が、平成27年(2015年)に取得した 商標登録『高島雄町』というブランドを支えているのです。

  • 「高島雄町」のシール

    高島雄町米振興会が「高島雄町」として商標登録している証のシール

そして、そのこだわりの仕上げとなるのが、収穫後の乾燥方法。一般的な乾燥機がボイラーなどの火力で1〜2日で急速乾燥させるのに対し、高島では全ての米をライスセンターに集め、加温をしない『常温除湿乾燥』で10日間以上かけてゆっくりと仕上げます

  • 高島ライスセンター内

    高島ライスセンター内の「常温除湿乾燥」が置かれた部屋

  • 制御盤

    制御盤

「お米に負担をかけない乾燥施設です」と西崎会長は語ります。急激な温度変化というストレスを与えないことで、米粒にひびが入る「胴割れ」を最小限に抑え、クリアで美しい酒質を支えているのです。

酒蔵たちが語る高島雄町の魅力

高島の雄町。その米を毎年心待ちにし、最高の酒へと昇華させる全国の日本酒蔵たちは、この米にどのような価値を見出しているのでしょうか。
現在、高島地区と直接契約を結ぶ蔵元は約12社。その人気は、全国の酒蔵からの要望が生産量を上回るほどです。今回は、その中から3社に話を伺いました。

【蔵元コメント:玉乃光(玉乃光酒造)】

  • 日本酒の瓶

「雄町米の復活を願い、共に歩んできた我々にとって、雄町は特別な米です。高精白の酒はすっきりと綺麗になる一方、米の個性が削られがちですが、高島の雄町は違います。磨き込んでも雑味が消えるだけで、米本来のしっかりとした旨味と骨格が残る。この唯一無二の味わいこそ、私たちが雄町を選び続ける理由です。

特に高島地区は、ライスセンターでの品質統一や『常温除湿乾燥』による丁寧な仕事のおかげで、毎年安心して最高の酒造りに臨めます。毎年現地を訪れると、西崎会長はじめ生産者の皆さんが、栽培の苦労を楽しそうに語ってくださる。その真摯な人柄と米への愛情が、そのまま酒の味わいに溶け込んでいると感じています。『純米大吟醸 備前雄町100%』などで、その魅力をぜひ感じてみてください」

【蔵元コメント:極聖(宮下酒造)】

  • 日本酒の瓶

「雄町米の元祖である高島地区に最も近い酒蔵として、私たちは『米と同じ気候風土をまとった酒』を醸せることに大きな意義を感じています。栽培から乾燥まで、生産者の方々がこだわり抜いた高島の雄町。そのポテンシャルを余すことなく引き出すにはどうすべきか、常に試行錯誤を続けています。

なかでも、高島の雄町が持つ最大の価値は、毎年の品質が非常に安定していることです。それは私たち酒造りに携わる者にとって、目指す酒質を再現するための、揺るぎないスタート地点が約束されていることに他なりません。この信頼こそが、最高の酒造りを支えてくれているのです」

【蔵元コメント:長龍(長龍酒造)】

  • 日本酒の瓶

「高島の雄町が持つ大きな魅力は、単に美味しいだけでなく『熟成で化ける』というポテンシャルです。その秘密は、雄町がじっくりと時間をかけて実る『晩生種(おくてしゅ)』であること。だからこそ粒や心白が大きく育ち、醪(もろみ)で柔らかく溶けるのです。この特性が、他の米にはない野性味や複雑な旨味の幅を生み出し、私たち酒造家を惹きつけてやみません。

その酒質の『太さ』は、味の濃い料理はもちろん、乳製品やオイルを使った洋食とも見事に調和し、食中酒としての無限の可能性を感じさせます。その秘めたるポテンシャルを最大限に引き出すべく、低温で瓶貯蔵させた我々の熟成ビンテージ純米酒では、柔らかな熟成香と優しくふくらむ上品な味わいをお楽しみいただけます」

発祥の地としての誇りを胸に、一度は消えかけた雄町の灯火を再び大きく燃え上がらせた高島地区。
しかし、雄町の歴史を紡いできたのは、彼らだけではありませんでした。
後編では、いかなる時も種を絶やさなかった「守護の地・赤磐」を訪れ、その不屈の魂と、雄町の未来を担う次世代の物語に迫ります。

(後編へ続く)

■もっと雄町を知りたい人へ

2025年「第16回 雄町サミット」のより詳しいレポートや、近年のトレンドについては、こちらの記事もぜひご覧ください。

岡山県・幻の酒米「雄町」を求めて おまち女子地酒探訪 http://bizen-omachi.pref.okayama.jp/ 

全農岡山県本部・岡山県の酒米「雄町」とは?

https://www.zennoh.or.jp/oy/product/rice/omachi/ 

【取材協力】(敬称略)

  • 西崎 瞬二(高島雄町米振興会 会長)
  • 水田 良和(高島雄町米振興会 副会長)
  • 西村 将大(全国農業協同組合連合会 岡山県本部 農産・園芸部 農産課)

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