銘酒「菊石」は新井杜氏と地元豊田が育む日本酒 浦野合資会社~ SAKETOMO的酒蔵見学・愛知編⑧

愛知県豊田市にて江戸末期に創業し、160年の歴史を数える浦野合資会社。「菊石」の銘柄で知られ、2009年から15年連続で品評会等での賞を獲得するなど高い評価を受けてきました。

今回は、浦野合資会社にて酒造りを担う新井康裕杜氏にインタビュー。地元で愛され続けてきた浦野合資会社の歴史や新井さんが杜氏を目指した経緯、そして酒造りへの思いについてお話をお伺いしました。

  • オレンジ色の暖簾の前で日本酒を持って立つ男性

    お話を聞いたのは浦野合資会社 新井康裕杜氏

「菊石」浦野合資会社(愛知県豊田市)https://www.kikuishi.com/

地域を支えてきた庄屋・浦野家が創業した酒造場

浦野合資会社の創業は「池田屋事件」が勃発した1864(元治元)年。三河国西加茂郡猿投村(現愛知県豊田市)の庄屋であった浦野判十郎が酒造場を開きました。
この地域を治めていた挙母藩(ころもはん)から、本来は武家しか持つことが許されていない「輿」の所有も認められていたという浦野家。伊能忠敬や板垣退助が立ち寄ったという記録も残っているそう。
そんな大きな庄屋だった浦野家で、年貢を納めた後の余剰米を活用して酒造りが始まりました。

  • 蔵のような建物の外観

    現在の浦野合資会社

現在の「菊石」の銘柄名は昭和初期から使用。浦野家とも縁が深い猿投神社から猿投山の天然記念物である「菊石」の名を拝受した由緒ある名前とのことです。

  • 白い石

    銘柄名にも使われている「菊石」(浦野合資会社所蔵)

「菊石」の酒造りを担う新井康裕杜氏

浦野合資にて現在杜氏として酒造りを担っているのが新井康裕さん。子どもの頃から昆虫や生き物を育てるのが好きだったこともあり、生き物関係のことを学びたいという気持ちから微生物学分野に進学。その後日本酒の世界に入り、様々な経験を経て浦野合資会社の杜氏となりました。

新井さんが日本酒造りを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

新井さん  僕の尊敬する先輩が長野のとある酒蔵に勤めていて、就職活動のタイミングで「いっぺん来いよ」と蔵の仕事を一日体験させてもらったのがきっかけです。そこで初めて麹に触れたり櫂入れをさせてもらったりして「めっちゃ面白いじゃん!」 と感じ、日本酒の世界に足を踏み入れました。

  • インタビューに答える男性

    新井康裕さん

大学院を修了した新井さんが最初に勤めたのは大手日本酒メーカー。しかし、そのメーカーでは機械化が進んでおり、新井さんが求める酒造りとは異なる方向性で日本酒の生産が行われていました。そこで新井さんは名古屋市にある「東龍」東春酒造に転職します。

新井さん  当時の東春酒造では新潟から来ていた鳥島杜氏を中心として酒造りが行われていました。新潟から15~6人の蔵人も一緒に来ており、自分も3日に1度程度のペースで一緒に泊まらせもらいながら、職人の生活パターンや酒造りに対する考え方などを一から学ばせてもらいました。

この頃新井さんと共に酒造りを行っていたのが、現在東春酒造で杜氏を務めている安藤辰弥さん。やがて新井さんよりも少し前に入社していた安藤さんが、鳥島杜氏の後任として杜氏の役目を担うこととなり、新井さんにも転機が訪れます。

東春酒造から浦野へと移ったのはどのような経緯があったのでしょうか?

新井さん  蔵に杜氏は一人。安藤さんの補佐をしばらくやっていて、このままずっと東春酒造でやっていっても良かったんですが、やっぱり僕も杜氏になりたかったんです。そこで、安藤さんに「申し訳ない」と話し、浦野へと移りました。
その頃の浦野は岩手から南部杜氏が来ていたものの、高齢化しており一年ごとに替わってしまうといった状況でした。先代の社長も「これじゃあちょっと続けられないな」と考えていたようで、社員として杜氏を任せられる人を募集していたんです。浦野に入社してからは当時来ていた南部杜氏の下で2年間修行を積んだ後、杜氏となりました。

東春酒造では越後杜氏、浦野合資では南部杜氏から酒造りを学んでいるんですね

新井さん  越後と南部で流派が違うのですが、両方の流儀を学べたのはラッキーだったかなと思います。今は、それぞれから学んだ事を合わせながら、この蔵に合う酒造りの方法を自分で考えて組み立てています。

  • 販売台に並んだ日本酒の瓶

    直売所には新井さんが造った「菊石」がたくさんの賞状とともに並んでいる

越後流と南部流、2つの異なる流派から酒造りの技術を学び、現在の「菊石」を確立してきた新井さん。2008(平成20)年に浦野の杜氏として酒造りを任されると、杜氏として初めて出品した「平成21年 愛知県酒造組合きき酒研究会」で愛知県知事賞を受賞。その後、現在に至るまで「名古屋国税局酒類鑑評会」「全国新酒鑑評会」などで毎年受賞を重ね、「菊石」のブランドを高めています。

様々な品評会に日本酒の出品を続けているのはどのような狙いがあるのでしょうか?

新井さん  自分が出す品評会は必ずフィードバックがくるものに限っています。自分たちが日本酒を造っている中で、第三者からの批評を聞くことってあまりないんです。お酒の会などでもいろんな方とすごく楽しく話している中で「これ駄目だよ」っていう人あまりいないじゃないですか(笑)。それが品評会の場であれば、「香りが良い」とか、「こういう悪い香りがある」というのをプロの視点でチェックしてもらえるんです。
第三者の視点で客観的な評価を受ける、それを毎年続けていくことで自分たちでも気付かない欠点が分かってきます。賞が取れるのはもちろんうれしいですが、自分としては賞そのものよりも評価が書かれた紙の方が大事です。

浦野の代表銘柄「菊石」とは

「菊石」のお酒の全体的な特徴やコンセプトについてお聞かせください。

新井さん 「菊石」は柔らかく綺麗というイメージです。淡麗ですがそこまで辛口ではなく、優しく飲みやすいお酒を目指しています。「水のようにきれい」とか「澄んだ酒」といった言葉で表されるでしょうか。その中で、お酒の種類ごとにこれはちょっと香りのあるお酒、こちらはちょっと辛口のお酒といった形でバリエーションを持たせています。

酒米には何を使われていますか?

新井さん お酒によりますが、主に兵庫県産山田錦や富山県産五百万石、愛知県産の夢吟香を使っています。また、地元豊田で採れたコシヒカリを使った日本酒もあります。
酒米の中では山田錦が扱いやすいです。自分の作りたい酒になってくれるのが良いところです。しっかり米を溶かした酒も造れますし、澄み切ったきれいな酒にすることもできます。
一方、五百万石は真ん中がなくて淡麗か濃醇の二択になるイメージがあります。きれいな酒も造ることができるのですが、ちょっと水加減間違えると一気に濃醇な方に振れてしまうという極端さがあります。

コシヒカリの日本酒は珍しいですよね?

新井さん  そうですね。でも結構いいですよ。どうしても最初に特有の粘りが出てしまうのですが、水加減などこうすればいいということが分かってきて、だんだんと慣れてきました。

仕込み水はどうされていますか?

新井さん  この辺りは矢作川水系の水となります。硬度も低く柔らかい水なので、自分が目指す柔らかい酒という方向性にも合っていると思います。

「菊石」の酒造りにはどんな特徴がありますか?

新井さん 手仕事が中心の伝統的な造り方です。米を蒸す際の甑(こしき)はボイラーではなく、昔ながらの和釜を使っています。和釜の甑で酒造りをしているのは愛知県内でも数蔵ではないでしょうか。
麹も自分が泊まりながら造っています。もちろんみんなで造ってはいるのですが、泊まりは自分一人でやっています。

  • 煉瓦で覆われた炉とステンレス製の大きな釜

    甑に使われているのは昔ながらの和釜

菊石大吟醸・純米吟醸

ここからはそれぞれのお酒についてお聞きしたいと思います。まずは「大吟醸」「純米吟醸」についてお聞かせ下さい。

  • 日本酒の瓶と化粧箱

    菊石 大吟醸

  • 日本酒の一升瓶と四合瓶

    菊石 純米吟醸

新井さん 「大吟醸」「純米吟醸」はグラスで飲んでいただけるようなきれいな酒質を目指しているお酒です。華やかさを大事にしたいことから、香りを出す酵母を使っています。ぜひ冷やして飲んでいただきたいですね。
純米吟醸であれば、軽めのチーズが合いそうですね。ゴルゴンゾーラのようなものではなく、クリームチーズ系の優しいチーズと相性が良さそうです。

菊石袋濾し純米吟醸生酒

「袋濾し純米吟醸生酒」はどのようなお酒でしょうか?

  • 日本酒の瓶

    菊石 袋濾し純米吟醸生酒

新井さん 「袋濾し」は純米吟醸と同じタイプの生酒で、より綺麗なタイプのお酒です。おすすめの飲み方は冷酒。きれいな味わいの日本酒なので、何かと合わせるよりもそのまま楽しんでもらう方がいいかなと感じます。

菊石山田錦純米酒・菊石純米酒夢ゆたか

純米酒には「山田錦 純米酒」「純米酒 夢ゆたか」がありますが、どのような違いがありますか?

  • 日本酒の一升瓶と四合瓶

    菊石 山田錦純米酒

  • 日本酒の一升瓶と四合瓶

    菊石 純米酒夢ゆたか

新井さん 「山田錦 純米酒」は柔らかくキレがいいお酒で、一升瓶でいつまでも飲んでいられるお酒というコンセプトで造っています。煮物でも焼き魚でも肉じゃがでも、和食系は何でも合わせやすいです。自分としては夏場でもぜひ常温で飲んでもらいたいお酒ですね。少し燗をつけても美味しいです。
一方の「純米酒 夢ゆたか」は五百万石を使ったすっきり辛口のお酒です。「夢のある豊田」をコンセプトに名付けました。「菊石」のラインナップ中では辛口の部類で、白身魚のお刺身や冷ややっこ、筍の土佐煮のようなあっさりしたものに合わせていただきたいお酒です。

菊石本醸造もと

「本醸造 もと」はどのようなお酒でしょうか?

  • 日本酒の一升瓶と四合瓶

    菊石 本醸造もと

新井さん 「もと」は飯米で造ったお酒で、うちの中で一番濃い部類に入ります。アルコール度数も高めで18.5度ぐらいです。ちょっと濃い目のお酒なので、味噌煮込みや山ごぼうの味噌漬けといった味噌を使った料理と相性がいいです。

本醸造には「ふろむToyota」というお酒もあるとお伺いしました。こちらはどのようなお酒でしょうか?

新井さん 「本醸造 ふろむToyota」は、年に3回発売する、豊田産コシヒカリを100パーセント使った本醸造酒です。冷やしてよし、常温よし、ぬる燗よしというお酒で、米の味わいや柔らかさがありながら後口すっきりでキレが良いお酒です。地元豊田産の米を使っていることもあり、ほぼ豊田市内のみで流通しているお酒です。

しろうま菊石

「菊石」にはにごり酒として「しろうま菊石」もラインナップされています。こちらはどのようなお酒でしょうか?

  • 日本酒の一升瓶と四合瓶

    しろうま菊石

新井さん 「しろうま菊石」は毎年一本だけ仕込んでいる冬限定のにごり酒です。地元での人気が高いこともあり、今でも造り続けています。にごり酒ですが米の甘味の重たさが少ない、すっきりとした味わいに仕上がっています。米のエキスがいっぱい入っているため劣化するのが早く、出来上がってすぐのフレッシュな時期、例年12月~3月頃にのみ販売しています。

豊田の銘酒「菊石」は新井杜氏を中心とした名チームが育む酒

今後はどのような酒造りを行っていきたいと考えていますか?

新井さん 豊田の皆さんに育てていただいているので、まずは豊田のいいお土産になれればと思っています。また、地元豊田の皆さんのお祝いとかお誕生日といったちょっとした晴れの日に使っていただけるようなお酒を造りたいですね。そのためにも、洗練された本当にいいものを造っていきたいなと常々思っています。新しい技術はどんどん出てきますし、新しい酵母を使ってみたいし、新しい造り方、新しい菌、そういうこともどんどん学んでいきたいです。
将来的には「楽しく酒造りがしたい」ということが夢でしょうか。今も酒造りは楽しいのですが、やはり杜氏としての責任はありますので、楽しいだけという訳には行きません。若い頃は「こういう酒を造ってみればいいのに」とか生意気なことを考えながら仕事していたのですが、いざ自分が杜氏になってみたらなかなか冒険できないものですね。杜氏になってみて杜氏さんの気持ちが分かりましたし、初めて杜氏の本質が分かってきたと感じます。

最後に、新井杜氏の酒造りに対する想いなどを込めたメッセージをお願いします。

新井さん  杜氏として本当いろんな方に育てられたっていうのを感じます。社員杜氏の先駆けとなった「蓬莱泉」関谷醸造の遠山さんには昔から本当よくして頂いて、お酒のコンセプトから考え方まで本当色んなことを教えていただいきました。鳥島杜氏には酒造りの根本を教えてもらいました。
東春酒造時代から一緒に切磋琢磨してきた安藤さんはもちろん、この地域の杜氏仲間とは年齢も近いこともあってみんなで切磋琢磨しています。お互いに表から裏まで知っているし、お酒も全部知っているからこそ、お互いに信頼して本音で言い合えるのかなと。ボケツッコミもできるし(笑) 本当いい仲間です。
蔵人やパートさんたちも本当にみんないい人です。こんなイライラした新井をよく相手してくれているなと思うし、みんな助けてくれています。大吟醸の蒸米を放冷する時は、みんなで力を合わせてやらないといけないのですが、その作業が日曜に重なってもみんな来てくれるんです。本当にいいチームですよね。こういった色んな方々の助けが「菊石」の日本酒になっていると常々思っていますし皆さんのおかげでできたお酒をじっくり味わって飲んでいただきたいなと思います。

インタビューを通じて新井さんが何度も口にしたのは周りの方々への感謝の言葉。修業時代に酒造りを学んだ先輩杜氏、勉強会などを機会があるたびに切磋琢磨している地域の杜氏仲間、そして浦野で共に酒造りを行う蔵人やパートさんたち。そうした周りの方々への感謝の気持ちがお酒にもこもっているからこそ、「菊石」には多くのファンが集まっているのだと感じました。
猿投山の麓で160年の歴史を刻んできた「菊石」浦野合資会社で実直に酒造りを続ける新井さんの活躍に、これからも目が離せません。

  • 古い蔵と砂利道

    浦野合資会社の建物に沿って往時の姿のまま残されている旧飯田街道 現在でも地域の生活道路として利用されている

浦野合資会社をもっと知りたい人のための直売所・酒蔵見学・イベント情報

直売所 営業時間 10:00~18:00(月~金)、10:00~15:00(土)
日祝休(お盆・年末年始休業あり 詳しくはWebサイトにてご確認ください)
酒蔵見学 一般向けには行っていません
イベント 年に1回、春頃に酒蔵開放を開催するほか、随時イベントを開催
イベント情報は浦野合資会社のWebサイト及び公式SNSにてご確認ください。
公式Webサイト https://www.kikuishi.com/
公式facebook  https://www.facebook.com/kikuishi1864/
公式instagram  https://www.instagram.com/toyota_kikuishi/

近隣におすすめスポットはありますか?

新井さん  猿投(さなげ)神社(豊田市猿投町)は日本武尊(やまとたけるのみこと)の双子の兄にあたる大碓命(おおうすのみこと)が祀られていて、名古屋の熱田神宮と並ぶ歴史を持った神社です。猿投山も有名な山歩きスポットで、「にっぽん百低山」という番組で紹介されたこともあります。
また、豊田市には豊田市美術館もありますし、新しくできた豊田市博物館も充実しています。

浦野合資会社の日本酒が購入できるお店

豊田市内や名古屋市内を中心に、主に愛知県内の酒販店やデパートなどで取り扱いがあります。取扱店の一部はWebサイトにて、オンライン販売も行っています。

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